初めが肝心「かんじん」思えば寛仁「かんじん」


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1月の半ばに、前職時代の同僚と飯を食べて来ました。

「コン」と呼んでいたこいつは、

要領のいいやつで、上役から気に入られていて

同期の中では、偉そうにしておりました。

「虎の威を借る狐」のキツネから「コン」と名付けてやりました。

在職時は、本当に不仲でした。

事あるごとに、衝突を繰り返していたように記憶しております。

 

以前、書いたことがあるのですが、探すのが面倒なので、

もう一度書きます。

入社時のお話です。

 

初めが肝心

 

「おはようございます。今日からお世話になります大笑です」

「はい、どうしたの?」

「すみません。寝坊しました」

「うん、明日から来なくていいよ」

 

これが、大笑の社会人デビューの日の朝のお話。

電話を取ったのが、よりによって専務さんだったとか。

実は、ある事情で、入社式をすっぽかしました。

(深い深い事情がありまして・・・)

後悔はしなかったのですが、、、

入社式を、入社の起点とするならば、

入社していないのに、会社をクビになる珍事

さすがに、家に帰って、親にはボロカス怒られました。

 

しかし、夕方だったか、会社から連絡がありました。

電話に相手は、私が所属するはずだった営業部の部長さん。

「明日、朝一で、本社に来い」

 

「朝一って何時のこと?」

「クビになってまで、説教されるんかぁ~社会人は大変やな」

なんて、あれこれ考えながら、7:30頃には事務所に到着していたと思います。

 

部長と合流したのが、8時半頃だったと思います。

そのまま、会議室に通されました。

 

しばらくして、総務部長、専務、社長の順で会議室に入って来られました。

 

専務は、本社での立場で、私が入社する予定だった会社の社長らしい・・・

本社の社長は興味本位で見に来ただけだったとか・・・

実は、研修という名目で、1ケ月程、この会社の倉庫でアルバイトを

しておりました。その時に、総務部長や営業部長とは面識がありました。

 

 

私は、クビを宣告された身ですし、正直、この会社に未練もなかった。

事の顛末を求めるお偉いさんたち。

弁解なんてする気のない若造。

この不毛な対立の時間は、淡々と過ぎて行きました。

馬鹿な若造でしたが、自分が悪い事をしたことぐらい理解できますが

クビにしたんだから、弁解をする必要なんてあるのか?

そればかり考えていたと思います。

結局、結論が出るまで自宅待機を言い渡されました。

 

思えば寛仁

 

専務から辞令が出ました。

「半年間の倉庫勤務」

但し、勤務態度が悪いと解雇もあるとの条件付き。

 

クビにはなりませんでした。

なんとも優しい会社さんだこと。

 

しかし、入社2日目で、飛ばされちゃいました(笑)

 

倉庫勤務は始めて、ひと月程経ってから、

新人歓迎会の連絡がありました。

「こんな自分も呼んでもらえるんや」

寛仁な計らいに少し驚きました。

 

 

でも、歓迎会に行って、少し凹みました。

同期の連中は、スーツにネクタイ。女子の白のブラウスもカッコよかった。

みんな、すっかりフレッシュマンから卒業しているかのようでした。

それに引き換え、私は作業着に安全靴に軍手ですよ。

何だか、差をつけられたような気がしましたね。

それに、明らかに気を使われている。

それが余計に辛くて、悔しかったです。

 

その同期の中でも、偉そうにしていたのが「コン」でした。

見るからに、私を下に見ている。

「お前か、噂の問題児は」

みたいなことを言われたことを覚えています。

睨み返して、詰め寄った。

すぐに部長から注意されて、席に戻った。

この時、私の心の中の「こいつは敵」スイッチが入った。

これから、約3年近く、こいつとは衝突を繰り返しました。

 

余談なんですが、

私が何故クビにならなかったか。

本社の社長が、自分の運転手に私を欲しいと言い出したからです。

当時は、こんな中小企業の社長でも、運転手を傍に置いていました。

秘書兼運転手のようなものです。

それに対して、専務が抵抗したようです。

そりゃそうです。

入社式をすっぽかした人間が、本社勤務なんて示しがつきません。

これこそ、首の皮一枚繋がったってやつですね。

 

 

次回は、営業部に復帰してからの「コン」との関係を

書きたいと思います。