家族になる


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9月19日は敬老の日

今日は嫁さんの両親、わたしの義親のお話をしたいと思います。

実は、先日のまっこさん(id:makkosan70)の記事を読んで

思い出したお話です。

 

 

makkosan70.hatenablog.com

 

 

家族になる

 

 

今から20数年前、まだ嫁さんとも、会えば話をする程度の関係の頃のお話。

確か、義親の結婚記念日だったと思うのですが、

3人で飲みに行く約束をしました。

 

何故、3人で飲みに行ったのかは覚えていません(笑)

正直、どんな話をしたかもあまり覚えていません(汗)

嫁さんと仲良くなる前から、義親とは仲が良かったんです。

 

その日、義母が言ったこの言葉はよく覚えています。

 

義父は、鹿児島県出身で、中学を卒業して、集団就職で大阪へ移り住みました。

義母は、広島県出身で、高校を卒業して、集団就職で大阪に移り住みました。

 

二人は、年齢も10ほど離れていて、出身地も、就職した会社も違いました。

でも、二人は出会いました。

出会った後、家庭を持ち、娘を二人授かりました。

 

「親元を離れ、一人で大阪で過ごしていたら、旦那と出会い、二人になった。

そのうち、長女が生まれて、三人になった。次女が生まれて四人になった。

気が付いたら、四人になっていた。家族って不思議やな」

 

 

中学や高校を卒業して、親元を離れ、友達も居ない、知らない土地で生活をする

さぞかし心細かっただろうな。

逃げ出したくなっただろうな。

そう考えると、義母の言葉が重くて、心に沁みて、、、

ちょっと涙ぐんだことを覚えています。

 

酔った勢いと、感情の高ぶりからか、

「俺も、その中(家族)に入れてぇや」

意味不明な事を口走ったそうです(笑)(義母談)

 

それから数年後、

私は、義親に、結婚の挨拶。

「○○さんを幸せにします」

「○○さんと結婚をさせていただけませんか」

なんて、ベタな挨拶を、あれこれ考えました。

嫁さんにも、

「俺がこうゆーたら、お前はこう言え」

と、打ち合わせもしっかり済ませました。

 

でも、迎えた本番は、

「おとうちゃん、おかあちゃん、家族になろ」

嫁さんのあっけにとられた顔(笑)

それでも、義親は泣いてました・・・

それにつられて、嫁さんも号泣。

その空気に入れずにいた私・・・

あの空気感は今でも忘れません。

 

その後、義母の家族は、義母夫婦に長女夫婦4人、ウチが4人

合計10人になりました。

 

義母が他界する前に言っていました。

 

「独りぼっちでいた、あの頃の自分に教えてあげたい。あなたには将来、たくさんの家

族に囲まれて、幸せになれるって」

 

義母にとって、家族とは「生きる糧」だったのでしょう。

そして、「生きた証」になったのでしょうね。

 

私も、義母の想いを継承し、家族を大切にしたい。

なんて、らしくないことを思ってしまうのは、秋の訪れのせいでしょうかね。

 

 

 

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