皆さん、こんにちは。
さてさて、「はてなスマホ写真部」の時間がやって参りました。
今月は、 421miyako (id:m421miyako) さんからのお題。
miyakoさんは私が、影響を受けた、素敵なブロガーさん。
ブログへの熱意、姿勢にいつも驚かされております。
大袈裟ではなく、「敬愛」してやまない方でございます。
近所に住んでらっしゃったら、夜な夜な、飲みに誘って、ブログ談義をしてみたい方。
一度、彼女のブログにご訪問ください。
では、本題に移ります。
「お茶わん」というお題を拝見してから、書くことが決まっておりました。
👇👇私が今使っているお茶わんがこれ👇👇
10数年使っている年季もの。
いい年して、子供が使うような茶わん。
実は、このお茶わん、次女が買ってくれたものなのです。
じいちゃんに貰ったお茶わん
それまで、私が使っていたお茶わんは、祖父に貰ったお茶わんでした。
何度かブログでもご紹介しておりますが、我が家は夜逃げをして、母の実家に
しばらくお世話になっておりました。
当然、自分の食器なんて無いわけで、食器類はじいちゃんの家の物を使っていました。
その茶わんは、「大笑、これ使え」
と、じいちゃんが物置から出して来てくれた木箱に入っていました。
濃紺に、星を散らばめたような模様が入っていて、「宇宙」をイメージさせるデザイン
で、とにかく上品で、綺麗な茶わんでした。
我が家が自立することが出来、引っ越しする時に、祖父母に頼み込んで、茶わんを譲り
受け、結婚してもその茶わんを使っていました。
母親から聞いた話では、その茶わんは有田焼?だったか、かなり高価なもので
洗い物をするときに気を遣うと言っていました。
正直、茶わんの価値などどうでもよかった。
住んでいる場所も、布団に枕、お箸にコップ、そしてお茶わん、
あの時、夜逃げで、自分の持ち物のすべてを置いてきてしまった。
じいちゃんに貰ったお茶わんが、自分の物になった事を喜んでいたのだと思います。
その「お茶わん」は私の宝物だったのです。
時を経て、そのお茶わんは?
結婚し、家庭を持った私は、じいちゃんのお茶わんを、使い続けておりました。
その頃は、じいちゃんの茶わんも、宝物ではなくなっていました。
それでも、愛着のあるものではありました。
そんなある日、家に帰ると、義母と嫁さんが申し訳なさそうに、
「お茶わんを壊してしまった」
その隣で、次女が泣き出しました。
それで、察しは付きました。
長女は当時4,5歳の頃だったと思います。お手伝いのつもりで、皿洗いをしていた時に
謝って、茶わんの上に何かを落としたとか・・・
遊びに来ていた義母の前で、いい格好をしたかったのでしょう。
まぁ、形あるものはいずれ壊れるものです。
「あぁ、ええよ」
腹が立つ訳でもなく、あっさりと返事をした記憶があります。
義母はそれでは気が済まないようで、新しいものを買うと、嫁さんに言っていたようで
すが、嫁さんから断りを入れてもらいました。
ただ、気の済まない人がもう一人。
長女でした。
お茶わんを私が大事にしていることを聞いていたのでしょう。
どちらにしても、茶わんは要るので、
嫁さんに、次女を連れて行ってお茶わんを買ってきてもらうようにお願いをしました。
併せて、茶わんは次女に選ばせるようにお願いをしました。
それで、次女の気も済むだろうと思ったからです。
翌日の夕食の時、食卓に並んだ茶わんを見て絶句・・・
長女は嫁さんに仕込まれたであろう言葉を、私に伝えて来ました。
「父ちゃん、ごめんなさい。」
「・・・・うん、ありがとう」
嫁さんは、普通の陶磁器の茶わんを勧めたそうなのですが、長女は譲らない。
再び、割ってしまうのが怖かったのかも知れませんね。
初めの頃は、複雑でした・・・
小さいので、お代わりが面倒です。
嫁、娘のお茶碗は普通の陶磁器のお茶碗なのに、
「一家の大黒柱さんのお茶碗がプラスチックなんて、、、しかもピンク」
それから十数年、この茶わんを使っております。
物の価値とは面白いものです。
私は物を金額や材質、ブランドなどで、価値をつけてしまいがちです。
価値とは、その物を使うことで、自分が何を得ることが出来るかなのでしょうかね。
じいちゃんに貰った茶わんは、「自分だけのもの」と言う価値がありました。
この茶わんには、幼い次女が一生懸命考えて買ってくれた世界に一つだけの茶わん。
だから、今でも使い続けています。
今では、お気に入りの茶碗です。
宝物の一つなのです。
「小さくて、食べすぎなくていいやん」
「お代わりばっかりしてるから一緒やろ」
「割れないからずっと使えるやん」
「それが困ってるとこや、こんなん、一生割れへんわ」
「あんたが死んでも、そのお茶わんで、お供えしたるわ」
「死ぬまで使おうと思てたけど、死んでからもこの茶わんかいな」
嫁さんと、こんなやり取りを、何十回、いや何百回したことでしょう。
最近では、食べる量も減って程よい大きさになって来たしね。
でもまぁ、死ぬまで使い続けるのでしょうね。
そして、仏壇の私の写真の横で生き続けてくれるのでしょう。
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