柱の傷ともう一つのきず


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柱の傷ともう一つのきず

 

5月8日「母の日」

私は母親も、義母ももういません。

ただ、母の幼馴染で、私の「第二の母親」と言える存在の方がいます。

そのおばちゃんのお家にお邪魔してきました。

コロナの影響で、ゆっくりとお邪魔したのは、久しぶりでした。

 

子供ながらに、美人でスタイルが良くて、かっこいいおばちゃんに憧れのような

感情を抱いていた。

昔から大好きなおばちゃんです。

 

「大笑 9才」

「大笑 10才」

「大笑 11才」

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おばちゃんの家の柱には、私の小学生の頃からの身長を記録した柱の傷があります。

私が、小学生の頃、おばちゃんが、毎年こどもの日に、記録してくれていました。

当時、私の家族は賃貸アパートに住んでいたので、柱に傷をつけることが出来なかっ

た。

柱に自分の成長記録なんて要るの?と思う方がいるかも知れません。

今の私もそう思います。

でも、当時のは私は違っていました。

 

 

朝、登校班のみんなと並んで学校に行くこと

学校ではクラスの友達とドッジボールをすること

放課後は「けいどろ」を日が暮れるまでして遊ぶこと

お気に入りの女の子にちょっかいをかけること

家に帰れば、母親がいる

夜になれば、父親が帰ってくる

クリスマスや誕生日にはプレゼントを買ってもらい

何にも遠慮せず、子供らしく扱ってもらえる

そして、毎年、その家の柱には、私達姉弟の身長の記録が柱に刻まれていた。

全部、全部が当り前の事でした。

 

前にも記事にしましたが、我が家は夜逃げを経験しました。

夜逃げが、私の「当り前」をすべて奪ってしまいました。

 

昔、おばちゃんに言われました。

欲しいものを欲しいと言わず、したいことをしたいと言わない。

いつも、周りに気を使い、子供らしさを出せない私が、不憫で仕方なかった。

 

でも、柱に身長を刻みたいと言うことだけは、泣きながら訴えてきたそうです。

母親も困ったことでしょう。

でも、おばちゃんは、快く、許可をくれた。

「柱さえ折れんへんかったら、大笑の好きなようにしたらええ」

 

リビングにあるこの柱は今でも賑やかだ。

おばちゃんの娘のキョンちゃんの身長

キョンちゃんの子供さんの身長

ウチの子供の幼い頃の身長

私達、姉弟の当時の身長

大きく、汚い字が存在感を引き立ててくれている私の身長

たくさんの成長記録が刻まれている。

 

おばちゃんは、いつも、お笑いながら言ってくれる。

「あんたの我がままのお陰で、いいものが残せた。ありがとう」

 

私は照れ隠しで返す。

「ここまで来たら、お金では買えん、価値があるで。俺のお陰やな」

 

当時、「当り前」を失った私は、「当り前」を失ったことを認めたくなくて、「当り

前」を何かで繋ぎとめたくて、我がままを言ったのでしょう。

今となっては思い出すことも出来ませんし、どうでもいいことです。

 

 

 

ゴールデンウイークには感謝を込めて、母の日のプレゼントを持参して遊びに行く。

おばちゃんの心を癒してやろうと、意気込んで行くのだが、帰る頃には、おばちゃんと

の時間に私の心が癒さてしまっている。

今年は5月5日に伺いました。「こどもの日」という名の通り、おばちゃんの前では、

私はこどもの頃のままなんだろう。

 

 

あの頃の私は、「当り前」を失い、「もう一つのきず」である「心の傷」を抱え

ていた。

「心の傷」は、「柱の傷」とと共に、私の心の肥やしとして姿を変えていった。

「心の傷」は、同じ「きず」でも私とおばちゃんとの大切なきずな」に姿を変えた。

 

「第二の母」へ

いつまでも、元気でいてください。

 

 

 

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