こんにちは、大笑です。
昨日に続き、「マラドーナ」の追悼の意も込めまして、サッカーネタです。
12月19日に同窓会を予定しています。
幹事が手分けして連絡をとっているのですが、何人か連絡がとれません。
私の所にも何度か幹事さんから問い合わせがありました。
その一人に、直美ちゃんという女の子がいるのですが、彼女とは、サッカー部で一緒だ
ったのですが、高校卒業後は数回、ばったり会ったくらいで、付き合いはありませんで
した。
サッカー部時代は、マネージャーの直美ちゃんに凄く相談に乗ってもらい、助けてもら
ったので、思い出もたくさんあります。
中学時代、私のユニフォームの背番号には、好きな女の子の名前をマジックで書いてい
ました。誰も気づいてくれませんでしたが(笑)
「辛い時に背中を押して欲しい」という意味がありました。
私の高校3年生になってからの試合は、このマネージャーの名前を書いて試合に臨みま
した。
好きとかではなく、こいつと一緒に試合に出たかったからです。
12人目のプレイヤー
高校最後の試合
「ピッピッピー」
試合終了のホイッスルが鳴り響きました。
試合の終了と共に、私の高校サッカーの終わりを告げるホイッスルでした。
私は1番最初に、ベンチにいるマネージャーに視線を送りました。
マネージャーは気丈に涙を堪え、拍手を送ってくれていました。
試合は、「0-1」の接戦でした。
ただ、相手は恐らく、1軍半のチームでした。いや、2軍か?
シュート数も私が放った2本のみ。
完敗です。私のサッカー人生でも1番の完敗ではなかったでしょうか。
私は、試合が終わっても、涙は出ませんでした。
運命の抽選会
私が通っていたような学校は、正直、優勝を狙う、ベスト4を狙うと言った目標もなく
参加することに意義のある学校でした。
それでも、1つくらい勝ちたい、という気持ちと言うか意地みたいなものがありまし
た。
試合の1ケ月前、練習後のミーティングで顧問の先生が抽選会の結果を、知らせてくだ
さいました。
「1回戦は○○高校とや」
ざわつきました。そして全員の表情がこわばりました。
顔を見合す者、下を見る者、反応は色々でした。
私は思わず、天井を見上げてしまいました。でも表情は笑顔に近かったです。
優勝候補の高校で、私もレギュラーメンバーの数人は知っていましたが、まぁ1000回試
合をして、1回勝てたら奇跡でしょうね。それくらい、実力差もありましたし、実際、
その年の全国大会には、その学校が進みました。
私は、どちらかというと、ワクワクした記憶があります。どうせいつかは負けるなら、
強豪校とやる方が面白い。
私の精一杯のプライドでした。
何より、この学校は私には浅からぬ因縁がありました。
この先生は、顧問とは名ばかりで、練習もほとんど出て来ません。
練習試合も、私が相手の高校へ行って話をして、決めていました。
練習内容も、私が決めていました。
先生からは、いつもの通り「大笑、後は頼むわな」と言われました。
それは、スタメンを決めるということを指していました。
試合前の憂鬱
スタメンは悩みました。非常に悩みました。
副キャプテンのKとマネージャーと3人で、毎日遅くまで相談しました。
Kの主張は、「3年主体でメンバーを選ぶ」でした。
私の主張は「勝てるチームで試合に臨む」でした。
いつもマネージャーは黙って聞いていました。
日が経つにつれて、喧嘩に近い状態になりました。
K
「3年間、苦楽を共にしてきた仲間と最後の試合を飾りたい。大笑、お前は薄情や。
最後の試合に出られへん奴の気持ちを考えてやれよ」
大笑
「それは解る。でもな、相手がどこであってもベストメンバーを組むべきや。ちょっと
でも俺らの意地を見せるべきや。」
二人の溝は埋まりませんでした。
Kは同級生では数少ないサッカー経験者でしたし、サッカーの話が出来る数少ない理解
者でもありました。
ただ、こいつは、1回戦の相手を聞いて、あきらめのような感情があったのでしょう
ね。いつもとは違う考えを私にぶつけてきていました。
と言うのは、ベストメンバーとは、私を除くメンバーはすべて2年生だったからです。
練習中も、雰囲気は最悪でした。
3年生は、やる気がない。2年生は3年に気を遣い、やりにくそうでした。
私は、本当に押しつぶされそうな気持で、試合まで過ごしました。
Kが言っていることは、ある意味正論でした。痛いほど気持ちは分かります。
でも、高校最後の試合を、消化試合のようにはしたく無かったです。
正直、何故自分がこんな思いまでして、スタメンを決めないといけないのか、不満だけ
が積みあがっていきました。
「面倒やなぁ~、もうどうでもええか、、、」
メンバー表を書いては消し、書いては消し、答えが見つからない。
私は、3年生の名前が無い、メンバー表を提出するつもりでいました。
そこには、私の名前もありませんでした。
そして、そのメンバー表をマネージャーに渡しました。
マネージャーはメンバー表を無言で見ていました。
マネージャーの一言
彼女とはクラスは一緒でしたが、クラスでは部活の時のように話しませんでした。
ところが、ある日、昼休みに、私のところまで来て、
「一緒に弁当食べよっ」と言って来ました。
弁当を食べながら話をしました。
彼女は、私の考えに賛同してくれました。
「大笑君は、この1年間、サッカー以外の事も全部やってきたんやから、最後ぐらい我
がまま言っても、ええと思うよ。誰も文句はないと思う。ただ、あんたの名前がないメ
ンバー表は間違ってるよ。おかしいよ。」
「あっメンバー表、捨てといたから。また作ってちょうだいな。」
私は、言葉が見つかりませんでした。
私はその日、練習前に3年の部員と話し合いをしました。
K以外は賛同してくれました。
こいつは頑固で、引っ込みがつかなくなったのでしょう。
以前のチームの雰囲気に戻ってきたような気がしました。
その日、全員の前で、スタメンを発表しました。
3年は数名ベンチ入りしましたが、ほとんどが1、2年で固められたチームでした。
もう迷いはありませんでした。練習後の掛け声は私の決意でした。
「お前ら、勝ちに行くぞ」
「おぉ~」
本当に一つになった気がしました。笑顔が戻ったような気がしました。
帰り道、マネージャーから、肩をポンポンと叩かれました。
彼女はニッコリ笑って「良かったな」
また、こいつに助けられました。
頼りになるマネージャー
彼女には普段から、何でも相談をするようにしていました。
一度、「もう辞めたい」と相談したこともあります。
自分の練習時間が取れなくて、イライラしていました。
もっと言えば、キャプテンという肩書が邪魔で仕方なかったのです。
そんな時でも、愚痴を聞いてくれたり、励ましてくれました。
私が一番、嬉しかった言葉です。
「私、大笑君がキャプテンで良かったと思う。他の人やったら辞めてたと思う」
彼女は、私が頼ってくれたことが嬉しかったそうです。
サッカーは全く知らなない自分に、サッカーの楽しさを教えてくれたこと、
試合の結果の感想や、反省点を聞いてもらえるのが嬉しかったそうです。
「マネージャー=雑用係」という部活が多かったからでしょうね。
実際、選手間では衝突することも多く、マネージャーに相談する方が楽でした。
試合への視点も、他の部員に聞くより、的を得ているように感じました。
凄く、勉強をしていたと思います。
Kよりも、サッカーのセンスはあったように思います(笑)
本当に陰で支えてくれていたのでした。
彼女が居なければ、私がサッカー部を辞めていたかもしれません。
続く