あの頃の僕は【5】 未熟な人間はすべてを失う


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こんにちは、大笑です。

こういう経験話はスラスラと書けるもんですね。

調べものが無いので楽です。しかも書き出すと会話の部分もある程度ですが、思い出せ

ます。(セリフは雰囲気で創作している箇所もありますが、。)

ただ、こちらの方言は変換してくれないので困りました(笑)

読者様を無視して、自分だけこの感動巨編を勝手に盛り上がって書いてますことを深く

お詫び申し上げながら、今日もお話の続きです。

 

 

 

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突然の震災で、普段の日常が奪われました。会社の事、仲間の事、A先輩のこと、すべてに決断を迫られることとなりました。若いながらに人生はとても残酷なものだと失望したことを覚えています。大人になれない自分に悩み、苦しみました。

 震災発生から、10日程たった頃でしょうか。電話も地域によっては復旧し、私の住ん

でいる地域は、日常を取り戻しつつありました。それでもガスは復旧しておらず、風呂

には入ることが出来ませんでした。本当にみんな臭かったぁ~(笑)

 

そんなある日、会社から連絡があり、一度会社に集まるように指示が出ました。

前の日、水風呂に入った記憶があります。さすがに臭いにおいを漂わせて会社にはいけ

ませんからね。

その当日、JRは須磨駅まで復旧していたので、そこから徒歩で神戸の街を目指しました。

 

会社に着き、部長から、会社は再開の見込みが立たないため、全員辞めてもらう旨の報

告がありました。状況が状況なので、誰も何も言ず、書類にサインをしました。

何だか、あっけない終わり方でした。

 

家への帰り道、A先輩と一緒になりました。

A先輩「これから、どうするの?」

大笑「考えてません、、先輩は?」

A先輩「私は元々辞めるつもりやったから、少し早くなったけどね。」

大笑「そうですかぁ・・・・」

それ以上話す気力もなくなっていました。

形はどうであれ、必死で考え、悩んで決意した「退職」が妙に虚しく感じました。

ただ、会社を辞める大義名分は出来ました。

そのことに関しては、妙にスッキリした気分になりました。

 

 

ところが、後日、会社から再び電話がありました。人事部長からだったのですが、、、

会社への呼び出しでした。

 

会社へ行くと、部長、先輩二人とA先輩、同期の女の子が居ました。

営業部長から、実は、この前全員辞めてもらう話をしたが、私を含めこのメンバーには

会社に残ってもらい、一緒に会社を立て直したいとの話でした。

男先輩二人は、仕事も出来ないのに偉そうな奴だが、ただ社長のお気に入りです。

同期の子は、かなり仕事が出来る。

解らないのが、A先輩だ。春には辞めると言っていたのに、、、何故いるの?

半沢直樹ばりに推測しちゃいました(笑)

 

ただ私は、悩むことはなかったです。

大笑「部長、僕は辞めます。その代わりに○○を残してください」

○○とは、新婚の同期です。

 

 

部長「○○のことは上に相談せんと答えられない、お前はなんであかんのや」

大笑「わかりません」

部長「うーん、、、どないしよか、もう少し考える時間が要るか?」

大笑「考えても答えは出ません。とにかく、残る気はありません」

自分の中では辞めると決めてたので、今更残れと言われても、というよりだんだん腹が

立ってきました。

A先輩「会社が困ってるんやから、、、」

先輩の言葉をさえぎるように、

大笑「俺かって困っとんのや、どうしたいか自分でもわからへん」

大笑「先輩はいつも会社会社って言うけど、みんなの事ももっと考えてくれよ」

大笑「俺の事もかんがえてよ、分からんねんやったら、でしゃばんなや」

取り返しのつかないことを口走ってしまいました。

先輩だから、必要以上に感情的になってしまったのかも知れません。

一度発した言葉は、自分が思っている以上に相手の心に深く入り込み、心をズタズタに

傷付ける凶器になることもあるのです。

私は未熟でした。ガキでした。何より大事な人を傷つけてしまう大馬鹿ものです。

あの時の先輩の沈んだ顔はしばらく頭から離れませんでした。

 

 

そのまま、飛び出すように会社を出ました。

みんなに謝るべきか、会社からの道を何度も立ち止まっては振り返りました。

先輩が追いかけて来てくれるのを期待していたのかも知れません。

心臓の音だけがバクバク響いていました。

一人トボトボ帰る道。いつもと全然違うように感じました。寂しくて、情けなくて、自

分に腹立たしくて。

実は、先輩に会ったのはこれが最後だったのです。

 

 

 

その後、私は今の会社に拾われ、本当に充実した数十年を過ごしています。

その間、家内と出会い、家庭を築き、子供にも恵まれました。とくに不満もなく生活を

送っております。時が経つにつれ、前職でのこと、先輩の事は記憶の奥底で眠りについ

いくかのように風化していきました。

時間が経過するってことは時に残酷なものにもなるのですね。

時間はあれだけ慕っていた先輩のことも 忘れさせていくものなのです。

 

 

今から、5年ほど前から、部長が発起人となり、同窓会を開いてくださいました。A先

輩は一度も出席されていません。また、A先輩とは誰も交流が無いそうです。

初回の同窓会の時に、あの時のことを部長に謝罪しました。その時に部長から言われた

言葉です。

「あの時は悪かったな。お前が言っていた言葉は、ようわかる。間違ってもない。」

「お前の性格を、解っているようで解ってなかった。」

また、Aさんの事もお話してくれました。 

「私は、Aに本当に悪いことをした。 Aは元々は良く笑う子やったんやぞ」

「私が研修係にしてから、ほんま笑わんようにになってもた」

「俺の前ではずっと笑ってたぞ」👈どや顔ですワ

 

A先輩は部長に指示で、新人研修係を引き受けていたそうなのですが、ああいう会社な

ので、新人はすぐに辞めてしまう。研修中は新人からも陰口を叩かれたりする。Aさん

は責任を一人で抱え込んでしまい、笑わなくなってしまったそうです。

 

私の代のメンバーは不景気が原因だったのでしょうが、辞める者もいなく、Aさんは喜

んでいたそうです。

私が不祥事で、倉庫に配属されていたていた時も、いつ帰って来てもいいように私のデ

スクはいつもきれいに拭いてくれていたそうです。

たまに倉庫で私を見かけたら、部長に「元気そうでした」「頑張っていました」と報告

をくれたそうです。

A先輩は、自分が出来ない「馬鹿になれる」私を凄く買ってくれていたらしく、部長の

前では私を一番弟子と呼んでいたそうです。

 

 

 

ただ、仕事の出来の評価はすこぶる悪かったそうですが、、、(笑)

 

 

 

A先輩は予定通り春には辞めたそうです。

私が暴言を吐き、飛び出したあの日、「あの子の性格を考えたら、いきなり引き留める

べきではなかった。時間を掛けて自分がゆっくり説得すべきだったのかも知れない。」

先輩はその場で泣いていたそうです。

 

今思えば、私が悪い。自分勝手で未熟すぎる人間だったんですね。

そうなんです、自分が受けてきた不遇を根に持って、困っている会社、一緒に会社を立

て直そうとしている仲間を見捨ててししまった。

あの時こそ、先輩に教えてもらった、そうなんです「馬鹿になれ」だったのかも知れま

せん。

 

 

妙に、先輩に会いたくなりました。

 

居てもたってもいられなくなり、後日、先輩の実家へ向かいました。

実家は無くなっていて、新しい家が建っていました。表札も違いました。

一歩間違えたらストーカーですね。

 

 

 

昔、先輩からよく「人の縁」についての持論を聞かされていました。

そしてその縁が、ようやく私を導いてくれることになります。

 

いよいよ、次回最終回です。ハンカチの用意を!めちゃラブストーリーかもです!?

 

最後までお付き合いいただきありがとうございます。

もう少しの辛抱です(笑)